文章は断定口調で書きましょう

「間違いを気にせずに書きましょう」というお話をしましたが。
それに関連する内容です。

間違えないように・・・と
気にしながら本を書いている人は、
やはりどこか自信のないような印象を受けます。
それは、言葉の節々に、
間違っていたときの逃げ道、予防線を感じさせる表現が目に付くからです。

例をご覧いただきましょう。

一般的には「お金持ちはずるがしこい」といわれています。

そうじゃないと否定する人もいますし、そのとおりだという人もいます。

私は、どちらかというとそうじゃないと思っていますが、お金持ちに対してネガティブなイメージを持っている人の気持ちもわからなくもありません。

いかがでしょうか。

こんな文章では何を主張したいのかがまったくわかりませんよね。
それこそ、「結局お前はどっちやねん!?」
「お前は一体何が言いたいねん!?」って思いませんか。

ともあれ、私が電子書籍出版のお手伝いをさせていただいた人たちには、
この手の文章を書く傾向が目に付きました。
そして、おそらくは、これから本を書こうと考えているあなたも、
この手の文章を書いてしまうかもしれません。

なぜかというと、インターネット上での発信を日常的に行っている人たちは、
炎上や不毛な議論のリスクを懸念して、
この手の配慮の行き届いた文章を書くクセがついているからです。

もちろん、ブログやFaceboOKなどのような、
オープンな場での発信に関しては、その方が合理的なのですが。

いかんせん、クローズドな場である本においても、
そのような回りくどい表現をしても、主張が伝わりづらいだけです。
せいぜい1万文字のボーダーに向けてのボリュームが稼げるくらいのメリットしかないでしょう。

たしかに、明確な主張は、明確な支持を得られる一方で、
明確な反発を生むことがあります。

しかし、ブログやFacebookとの大きな違いは、
その反発が個人的なもので終わるということです。

炎上や不毛な議論が発生するのは、
結局のところ、その原因となっている個人の主張や行動が、
公衆の面前に存在している、人目に付くところに存在しているからなのです。
それゆえに、無関係な人間までもが、
勝手に当事者意識を持って集まってくるから面倒ごとになるのです。

しかし、本を買った人しか読むことのできない個人の主張については、
その手の周囲を巻き込んでの炎上や不毛な議論が発生するわけがないのです。

したがって、電子書籍における基本的な文章の書き方としては、
ブログをはじめとしたオープンなメディアのような、
配慮を重んじるようなことはしなくてかまいません。
むしろ、極論であっても、主張が明確にわかる方が良いのです。

すなわちそれは、あらゆる文章をハッキリとした断定口調で書くということです。

断定口調で書かれた文章は、力強さを感じさせられますし、
その主張の背景にあるたしかな理由、裏付けを予感させます。
だからこそ、読者さんも安心して付いてくることができるのです。
無理なく、自然な形で信じることができるのです。

その一方で、配慮を意識すると、
配慮と取られずに、主張に自信がないと思われかねません。

今一度、この文章をみてください。

一般的には「お金持ちはずるがしこい」といわれています。

そうじゃないと否定する人もいますし、そのとおりだという人もいます。

私は、どちらかというとそうじゃないと思っていますが、お金持ちに対してネガティブなイメージを持っている人の気持ちもわからなくもありません。

どこか、反論を恐れているような、
そして自分の主張に対する自信のなさを感じさせられるような、
腰のひけた文章だと思いませんか。
これでは、読者さんも安心できないのです。

したがって、本来であればこのように書くべきなのです。

「お金持ちはずるがしこい」という人がいます。
しかし、私はそうは思いません。

一気に2行にまとまってしまいましたが。
その一方で、主張が明確で力強く、
さらには続きを読んでみたい、その理由を知りたいと思いませんか。

すなわち、明確さは力なのです。

そもそも、この世の中には、
価値観がまったく同じ人間というのは2人として存在していません。

家族であっても、気心の知れた親友同士でも、
永遠の愛を誓い合った夫婦でも、ラブラブなカップルでも、
全てにおいて同意できる、共感できる、というわけではないのです。

だからこそ、社会で生きていく上では
異なる価値観への配慮が必要なわけですが。
一方で、お互いが配慮し合うには、
まずは明確にその考えを示して違いを確かめ合ってこそなのです。

社会人になってから知り合った人とは、
学生時代の友人のように、なかなか深い関係にならないのは、
結局のところ配慮が先にある付き合いをしているからなのです。

なぜインターネット上で炎上が起きるのか、不毛な議論が発生するのかといえば、
常日頃から配慮し合う生活にストレスを感じている人が多いからなのです。

自分の考えをハッキリと主張したいという欲求がたまっている人が、
それだけ多いということなのです。

ともあれ、形は違えど、
読者さんが著者であるあなたに望んでいるのは、明確な主張による対話です。

だからこそ、あなたは、
自分の主張を、本によって伝えたい考えを、
まずはハッキリと、わかりやすく伝えることに意識を向けるべきなのです。

その際に、異なる価値観への配慮は不要ですし、
仮に読者さんに対して何らかの配慮をするならば、
それは明確な主張をする、ということではないでしょうか。

もちろん、明確に主張したあなたの考えがが、間違っていることもあるでしょう。

しかし、それでもかまわないのです。

いついかなる時も、
あなたの方が読者さんよりも上の存在だとは思わないことです。

時に、読者さんから学ぶこともありますし、
またその関係を作るために、本があると思ってください。

本は、知識や経験、情報をシェアするものですが、
その一方で、読者さんとの対話のきっかけなのです。

だからこそ、大切なのは、
あなたの考えをわかりやすく、明確に伝えることです。
そのためには、断定口調で語る勇気、これをしっかりと持ちたいものです。

最後にちょっとだけ補足しておきます。

本を通じて、読者さんとコミュニケーションするには、
とにもかくにも、読みやすい文章を書くことが大切です。

細かいテクニックの話は追々しますので、ここでは大枠だけの話にとどめておきますが、
大前提として覚えておいて欲しいのは、
自分が文章を使ってコミュニケーションをしているのだ、という自覚を持つということです。

とはいえ、コミュニケーションを誤解している人も世の中にいらっしゃいますので、
あなたがそうだとは思いませんが、ここでその言葉の定義を見直しておきましょう。

手元の辞書、そしてWikipediaによると、
その言葉の意味、定義はこのようなものとされています。

気持・意見などを、言葉などを通じて相手に伝えること。

さて、これを見て、何か思うことはありませんか。

そう、世間一般で使われている「コミュニケーション」とは、
お互いの考えの伝達といったように、双方向性の意味で考えられていますよね。

たしかに、広義の意味でのコミュニケーションには
、双方向のやりとりも含まれているのですが。

まずは、「自分が」自分の考えを伝えることなのです。

すなわち、お互いが明確な主張をすることで、
結果として双方向性のつながりが生まれるというだけの話なのです。

コミュニケーションという言葉が、
「能力」とセットで使われることが多いからでしょうか。

どうも、それが、周囲に対する配慮をする折衝能力のように誤解されがちです。
その結果、文章を使ったコミュニケーションのあり方が、
先に挙げたダメな例のようになっている人があとを絶ちません。

したがって、本来のコミュニケーションとはどういうものなのか、
そして真のコミュニケーション能力とは何ができることなのか、
それを今一度考え直してみる必要があるのかもしれません。




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