完璧を求めずに完成を求める

先にも軽くふれましたが、
著者になれずに頓挫する人の多くは、
1冊の本を完璧なクオリティに仕上げようとする傾向があります。

しかし、当然のことながら、
こんなことをやっていたのでは、
いつまでたってもあなたの著書が世の中に流通することはありません。
それこそ、原稿が完成することすらないでしょう。

「間違った情報を読者さんに届けるわけにはいかない」

たしかにそれは素晴らしい心がまえ、プロ意識だと思います。
私も、完璧を求める必要はなくとも、
その考えを持つことはとても大事なことだと考えています。

ただ、誤解してはいけないのは、
絶対不変の事実というものは存在しないということです。
ゆえに、それを求めていたらキリがないのです。

そもそも、人間は成長に伴い価値観が変わっていくものです。
子供の頃は絶対的な真理と思っていたものが、
大人になって幻想に過ぎなかったと気づかされたことは、
一度や二度ではないはずです。

それだけではありません。
たとえば、私たちが小学生の頃に学んだ聖徳太子の肖像画を覚えているでしょうか。

今は、その画像を聖徳太子像とは呼ばず
「伝・聖徳太子」と呼ぶそうです。

さらにいうと、聖徳太子が実在したかどうかすら、
昨今では怪しいといわれているようです。
すなわち、歴史として学んだものがファンタジーになっているわけです。

ともあれ、真実だけを書いた完璧な歴史教科書を書こうと思ったら、
タイムマシンが完成するまで待たなければいけません。
馬鹿げた話に思えるかもしれませんが、
執筆する内容に完璧さを求めるというのはこういうことなのです。

したがって、より質の高いもの、
より正確な情報を書こうという気持ちは大切だと思いますが・・・。

それを必須としてしまうと、
本なんて誰も書けなくなってしまうのが実際のところです。

もちろん、著者の最低限のモラルとして、
意図的に事実をねじ曲げたことを書かない、という姿勢は大切だと思います。

ともあれ、誠実な態度で読者に接しての結果であれば、
仮にその主張に誤りがあったとしても、気に病む必要はないのです。
それに気づいたなら、次回作以降で新たな考えを主張すればいいだけですからね。

そもそも、本に書かれていることが全て真実だなんて、
読者さんは思っていませんし、
それこそ、書かれている内容を完全に鵜呑みにする人もいません。

したがって、完璧ではないことに対する自己嫌悪をいだくのは、
それこそ著者の思い上がりでしかないのです。

実際、本サイトに関しても、
私の持ちうる全ての知識を余すことなく詰め込んでいるわけですが。
それでも、もしかしたら、いくつかは間違っている部分があるかもしれません。
また、1年後、2年後に見返したときに、
時代背景の変化や、市場の情勢の変化により、
訂正すべき点や修正すべき点が見つかることもあるでしょう。

しかし、それでもかまわないのです。
大切なのは、現段階でのベストを形にして、いち早く世の中に送り出すことなのですから。

すなわち、完成させること、流通させることに意義がある。

著者活動を行う上で、
これは最重要事項として覚えておいていただきたいと思います。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です