執筆に際してボリュームを稼ぐための3つの技術

電子書籍のボリュームは1万文字程度でOKです。

ただし、本章の冒頭でもお話ししたとおり、
ネタが尽きたり、質の高い1次情報を確保できていなかったりするがゆえに、
それさえもなかなか難しい。

あるいは、何冊と出しているうちに、
筆が走らなくなってきた、そんなこともあるでしょう。

そこで、効率的にボリュームを稼ぐためのテクニックについて
ご紹介させていただきます。

誰でもすぐに実践できて、
なおかつ即効性の高いテクニックとしては、以下の3つがおすすめです。

私も効率的に同ジャンルの著書ラインナップを増やしたい時によく使う手法でもあります。

1.会話調で展開する
2.有名な物語に絡める
3.ニュースを絡める

順を追ってお話ししていきます。

まず「1.会話調で展開する」ですが。

これは、2人の対話調にして、
それを畠から聞いているみたいな体で構成する文章の書き方です。
私がもっとも得意としているパターンでもあるので、
せっかくですので著書から引用します。

極悪調教師に学ぶ!自分を有能に見せて「選ばれる」技術より

ウソつきマイクとバカ正直トミー

私 
「スチュワート、きいてくれよ!
マイクの野郎、やりたい放題やってくれたよ」

ス 
「どうしたってんだ、
訴訟を控えたアメリカ人女性みたいにさわいで!
穏やかじゃないな」

私 
「あの野郎が送ってきた報告書、
ぜんぶ、ウソ、適当だったんだよ!
こんなの、日本じゃまずありえねーよ!」

ス 
「あぁ、ファッ●ンなあいつらしいな」

私 
「マイクがあんな奴だとは夢にも思わなかった!」

ス 
「ずいぶん、怒ってるな。
ピザがなかなか届かなくてイラついている低血糖のデブみたいだ」

私 
「そりゃそうだろ。
かなりの金額、奴にやられたからな!」

ス 
「トミー、誰もが通る道なんだよ・・・
そう、ホースマンにとって、
お母さんの産道と奴の洗礼は必ず通る道なんだ」

私 
「産道って。
というか、みんな、奴にだまされてるってことなのか」

ス 「そうだ。
みんな、一度はあいつにだまされて、それで一人前になるんだよ」

私 
「ひどいな、
お前も知ってるなら教えてくれれば良かったじゃないか」

ス 
「それだと、お前のためにならない。
人は、だまされたと気づいた時はじめて、
誰が本当に信じられるのか真剣に考えるようになるんだ。
そして、本当に人を信じることが出来るようになる」

私 
「哲学者みたいなこというなー」


「でも、あいつを信じていたお前に、私が何かをいったところで、
おそらく信じてもらえたかなんてわからないだろう。
儲かるって必死に売り込む証券マンほど怪しいものはないようにな」

私 
「まぁそうだねー」

ス 
「むしろ、あいつを信じる気持ちが強いために、
忠告する私を疑っていたかもしれない。
ネットワークビジネスに熱中している連中なんて、
みんなそんなもんだろう」

私 
「その可能性もあるか・・・」

ス 
「だから、お前が痛い目をみて
自分で気づくまで私は何も言えないんだよ」

私 
「そんなもんかね」

ス 
「(苦笑)」

はじめまして、関口智弘と申します。
私は、オーストラリアで競走馬を持って走らせています。

2016年の末、私は、オーストラリア人調教師・マイクをクビにしました。
ウソの報告書を送り続けて、管理費をだまし取り続けていたからです。

冒頭の一連のやりとりは、
悪徳調教師であるマイクのやり方に怒り心頭で、
親しい馬主仲間に不満をぶちまけた際のものです。
もっとも、事実であっても名誉毀損は成立してしまうため、登場人物名は変えてありますが。

まず、事件の一部始終をお話しします。

(以下、略)

さて、いかがだったでしょうか。

会話の中身自体は大したことを話していません。
しかし、その一方で、文章のボリュームはかなりありますよね。
それにも関わらず、スラスラ読めて、ストレスを感じなかったのではないでしょうか。
語られている話の中身のなさとは裏腹に、テンポとリズムの良さは圧倒的だと思います。

どうしても、ボリュームを稼ぐことを意識した文章は、
表現が回りくどくなるなど、読みやすさを犠牲にせざるを得ない部分があります。
しかし、会話調にすることで、そのデメリットを打ち消すことができるのです。

このテクニックを使うポイントとしては、
とにかく文章としてうまくまとめることを考えるのではなく、
会話としてのテンポとリズムを意識するということです。

実際の会話でもそうだと思いますが、
先の会話のやりとりを見ても、
お互いに軽口を叩いていたり、適当な相づちを打っていたりしていますよね。

つまり、どうしても入れなければならないわけでもない、
どうでもいい言葉がふんだんに盛り込まれています。

しかし、このどうでもいい言葉こそが、
絶妙に文章を整え、読んでいて心地よく感じる
会話のテンポ、リズム感につながっていることにお気づきいただけるのではないでしょうか。

こういった、どうでもいい言葉、意味のない会話のやりとり、
それを思い切って盛り込めるかどうか。
そこがポイントになってくるのでよく覚えておきましょう。

さて、次に「2.有名な物語に絡める」という形式です。

先にも引用は良くないという話はしましたし、十分ご理解いただけていると思います。

しかし、童話をはじめとした、有名な物語を共通言語として引き合いに出す形であれば、
引用云々を懸念する必要はありません。

これも、せっかくですので、
私の著書での事例をご覧いただき、イメージをつかんでいただこうと思います。

実は服を着ていたはだかの王様

王様はほんとうに「バカ」だったのか?

あなたもアンデルセンの「はだかの王様」の話を読んだことがあると思います。

こんなお話でしたよね。

 
昔、ある国に、新しい服が大好きな、おしゃれな王様がいました。

王様は我が強く、自分の考えを曲げないところがあり、
周りの家来たちはみな、王様の言いなりで した。

そんな王様の元に、ある日、お城に二人組の男が、仕立て屋という触れ込みでやってきました。

彼らは、とても美しいが、バカの目には見えない
不思議な布地でできた衣装をつくることができるというのです。

王様は大喜びで、大金を払い、彼らに新しい衣装を注文しました。

仕立て屋の男たちはお城の一室を借り、さっそく仕事にかかりました。

できあがりが楽しみな王様は、ある日、家来の1人を視察におくりました。

作業部屋で、仕立て屋たちは忙しそうに、縫ったり切ったりしています。
しかし「バカには見えない 布地」とやらは家来の目にはまったく見えません。
仕立て屋の男たちは、手になにも持っていないように見えます

家来はたいへん困惑しました。

しかし、王様には、自分には布地が見えなかったと言えず
「仕事は 順調に進んでおります」と報告しました。

その後も、視察にいった他の家来もみな「仕事は順調です」と報告します。

最後に王様がじきじき仕事場に行ったのですが・・・。
なんと「バカには見えない布地」は王様の目にもさっぱり見えないではありませんか。

王様はうろたえましたが、家来たちには見えた布が自分に見えないとは言えません。

そこで、あたかもそこに完成間近の服があるかのようにふるまい、
その布地の出来栄えを大声で賞賛しました。

周囲の家来も、その様子に調子を合わせて衣装を褒めました。

そして、いよいよ、王様の新しい衣装は完成しました。

「せっかくだから」と、
王様はお披露目のパレードを開催することにしました。
そして、見えてもいない衣装を身にまとい、大通りを行進します。

集まった国民も「バカには見えない布地」と聞いていたので、
バカと思われたくない一心で、歓呼して衣装を絶賛します。

しかし、その時です。
沿道にいた一人の小さな子供が叫びました。

「王様は裸だよ!」

当然、群衆はざわめきます。

「裸か?」
「裸じゃないのか?」

そして、そのざわめきは広がり、
ついに皆が「裸だ!」「王様は、裸じゃないか!」と叫びだすなか 、
王様のパレードは続くことになったのです。

私たちが教わった、このお話の教訓は、

「見栄を張るとろくなことにならない」

「威張り散らしていると周りに何も教えてもらえず、最終的には笑いものになってしまう」

というものだったと思います。

しかし、実は、このお話にはその他にもたくさんの教訓が盛り込まれていたのです。

私がそれに気 づかされたのは、
シンガポール人の友人と、子供の頃に読んだ童話のお話をした時でした。

彼もまた、子供の頃にはだかの王様を読んでいたのですが。
その解釈が、私の得た教訓とはまったく異なっていることに驚かされました。

あなたや、私のように、
日本で教育を受けた方の場合は、
王様の愚かさから、謙虚であることの大切さや、
周囲の忠告に耳を傾けることの重要さを学びます。

しかし、シンガポール人の彼は、
同じ裸の王様を読んで、違ったことを教えられていたのです。

彼はこう言いました。

「確かに、王様は愚かだったかもしれない。
でも、一番愚かなのは、王様をだました詐欺師たちだ。
王様をだまして、それがバレたら命の保証はないだろう。
わずかながらのお金をだまし取るために、そんなリスクを冒すなんてバカげている。」

「それに、誠実に仕事をして、王様のお墨付きをもらえば、
その国で商売をして大もうけすることだって出来ただろうに。
そっちの方がはるかに賢いやり方だし、理に適っている。
自らそのチャンスを棒に振るわけだから、救いようのないバカだよね。」

「だいたい、この国(シンガポール)でそんなことをやったら、
厳しい刑罰で痛い目を見るバカりでなく、
名前と顔を新聞に載せられてしまうからね。
そうなったらもう、まともな会社では働けなくなるよ。
それにも関わらず、目先のお金に目がくらんで犯罪に手を染めるなんて
バカもバカ、大バカだよ」

刑罰が厳しく、まじめな方が多いシンガポール人らしい解釈ですよね。
彼らの商売に際してのしたたかな立ち回りもうかがい知れるような見解です。

ともあれ、彼も、私も、自分で商売をする立場です。

それゆえに、彼のこの解釈には、衝撃を受けました。
それと同時に、商売人としての教訓が読み取れるということに、
この「はだかの王様 」というお話しの奥深さを感じたのです。

そして、国も違えば、文化も違う。
それゆえに、童話の解釈、そこから得られる教訓も、
こうも違うものなのか、ということに興味をひかれました。

その後、仕事柄海外に行くことが多いので、
外国人の方と親しくなるたびに、
先のシンガポール人の友人とのエピソードを踏まえて、
相手の考え方や、解釈について聞いてみたのです。

すると、おもしろいことに、
同じ国であっても、同じ文化圏であっても、
解釈が異なること、教訓が異なることに気づかされました。

むしろ、「王様は愚かだ」としか考えない日本が特殊に思えるほど、
その解釈は多様性に富んでいたのです。

(以下、略)

いかがでしょうか。

誰もが知っている童話「はだかの王様」を引き合いに出して、
ものの見方、考え方を見直すことの重要さを主張していますよね。

これだけ長い文章ですが、
主張はいたってシンプルで、
「人によってものの見方、考え方は異なるものです」としかいっていません。

しかしながら、たった1行で伝えられるメッセージでありながらも、
先の文章だけで実に2000文字を超えるボリュームを稼げているのです。

したがって、会話調よりも極めて効率的に、
なおかつ大きなボリュームを稼げる手法としておすすめできます。

ただし、難点も1つあります。

それは、この例にある「はだかの王様」のように、
どんな読者さんともすぐに共通言語にできるような有名な物語は
それほど多くはないということです。

もちろん知名度の劣る物語であっても、引き合いに出すことは可能です。
しかし、いかんせん引き合いに出す上での説明的な文章が多くなり、
時にそれを引用と解釈されかねない恐れもあるのです。

それほど神経質になることもないのでしょうが、
全くの無警戒ですと、行きすぎてしまう可能性がありますので、
頭の片隅にでもとどめておいてください。

そして、最後が「3.ニュースに絡める」という書き方です。

これは、先の感想文テイスト同様に、ボリュームを大きく稼ぐことができます。

しかし、絡めるニュースが古すぎると共通言語になりづらい、
またそれに引きずられて本の情報鮮度に疑問符が付くなど、扱いづらい面もあります。

こちらも、イメージしやすいよう、私の著書で例示します。

札束をばらまくのを今すぐやめなさい

あの事件で感じて欲しい!実行犯が叩かれない異様な時代

あなたも、よく覚えていると思います。

2016年末に世間をさわがせた、
DeNAが運営する健康関連のキュレーションサイトWELQ問題。

世間一般では、科学的根拠のない、いい加減な医療関連記事を掲載していたことによる
運営者責任が糾弾された、ということになっています。

しかし、これは訴訟リスクを最小限に抑えるための、
巧妙な論点ずらしなのは、よくご存じだと思います。

問題の本質は、ブログ記事や、書籍などの内容を、
無断盗用したことに関する著作権や使用権のだったはずです。

しかし、お金持ち憎し!ベンチャー企業憎し!の浅はかなネットイナゴたちによる
低次元な炎上騒動によって、いつの間にか論点がすり替えられていましたよね。

確かに、運営サイドにも落ち度はあったでしょう。

しかし、いい加減な記事を書いていたのも、
著作権侵害コンテンツを作成していたのも、
DeNAからお金をもらって記事を書いていたライターですよね。

中には、DeNAからの業務を請け負っていた上で、お金を受け取って、
先のような低質なコンテンツを作成していたにもかかわらず、
被害者面して、はたまた実情を暴露する内部告発者を気取っている方までいました。

職業選択の自由があるように、
公序良俗に反する仕事は拒否することもできたはずです。

わずかながらのお金欲しさに、犯罪の片棒を担いだ・・・
というよりも、実行犯となって一線を越えた方々が、
よくぞまぁとあきれた方も多いのではないでしょうか。

ともあれ、こういった社会的な反応もあってか、
WELQにおける実行犯たちは、まったくもって悪びれた様子もなく、
むしろ犯罪の片棒を担がされた、と被害者意識さえ持っている可能性さえあります。

それこそ、手前かわいさに、いくら犯罪の片棒を担いでいたとはいえ、
守秘義務を破って内部資料を流出させたりもしているわけですからね。
あきれてものも言えないのではないでしょうか。

そして、この手の人間は、いずれまた同じようなことをくり返すでしょう。

すなわち、お金を積まれれば、
生活のため、自己実現のためにといって、
もっともらしい理由をつけて、あなたのブログやFacebookの記事、
アップロードした写真をコピーして盗用することでしょう。

東南アジアでは、十万円程度で、
ターゲットの暗殺を請け負う殺し屋がいるそうです。
数千円、数万円の原稿料で、
一線を越えたライターは、まさにその殺し屋と
なんら変わりない存在とさえいえるかもしれません。

確かに、依頼者は悪でしょう。
しかし、実行犯が処罰されない、糾弾されない社会は異様だと思いませんか。

十万円で暗殺を依頼した側だけが処罰を受け、
実行犯はその辺を平然とウロウロしているわけですよ。
怖くてそんなところ、歩いていられませんよね。

どうも世論は、巨大資本ばかりを攻撃する傾向にありますが。
その巨大資本に操られていたとはいえ、
実行犯を批判しない現在の風潮は、やはりちょっと異様だと思います。

繰り返しになりますが、
罪の意識がないばかりか、自分を被害者にまで祭り上げて
自己防衛をしているようなライターばかりです。
こういう人たちは、いずれまた、違った形で犯罪の片棒を担ぐことでしょう。

やれSOHOだ、やれフリーエージェントだといいながら、
やっていることは犯罪の片棒担ぎなわけです。

インターネットでビジネスをしている方々を、
稼いでいるから、という理由だけで詐欺師だなんだと誹謗中傷する方々もおりますが。
事実無根のそれとは違って、こちらはリアルな犯罪者ですからね。
本来であれば、もっと社会が監視の目を光らせなければならないのではないでしょうか。

こういった現状がある以上、あなたがいつ彼らの被害者になるかわかりません。

だからこそ、無防備でブログやFacebookの記事をさらしていること、
写真や動画をオンライン上に垂れ流していることに、
今まで以上の注意が必要となってくると思います。

悪いことをしているという自覚症状がない犯罪者ほど、
タチが悪く、恐ろしいものはありません。

残念ながら、インターネット上でビジネスをしているフリーランスの方々の中には、
そういった感覚がない方もいらっしゃるということです。

だからこそ、あなたは、自分の身を自分でしっかりと守らなければならないのです。

(以下、略)

これもまた、
「インターネット上で文章や写真を無防備にさらしておくと悪用されちゃいますよ」という
ワンメッセージの警告を、
関連するニュースを引き合いに出すことで、実に2000文字弱にまで引き延ばして伝えています。

この手法の良いところは、
先の物語のケースとは異なり、ネタに事欠かないということでしょう。

ただしその一方で、どうしても引き合いに出すネタの鮮度が落ちていくという点が
気になるという人もいるかもしれません。
 

それと、先の文章をご覧いただいて、
なんとなく、著者である私のことを「頭が良さそう」と思いませんでしたか。

実は、時事ネタやニュースを引き合いに出すと、
文章の構成要素が客観的な事実中心になるため、
断定口調の言い回しに勢いが付くのです。

それゆえに、自信に満ちあふれた印象を演出することができ、
結果としてそれが、著者の聡明さのあらわれであるかのように錯覚されるのです。

というわけで、あくまで、形としての本を出すための
ボリューム稼ぎのテクニックではありますが。

いざ、中を見られたときも、著者としての権威性を強化する演出につながってきますので、
先の情報鮮度の問題さえ気にしなければ、
かなり実用性の高いテクニックといえるかもしれません。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です