あなたには本を出す資格がある

著者を目指している人は世の中にたくさんいますが、
実際に著者になれるのはごく一握り・・・
いや、ごく一つまみしか存在しません。

その両者の違いはどこにあると思いますか。

能力?人脈?運?

いいえ、そのいずれでもありません。
自分自身が著者にふさわしい人間であると信じぬく強い心です。
明確なセルフイメージです。

著者にあこがれながらも、著者になれずに終わる人たちに多いのは、
心のどこかで
「自分にはムリなんじゃないか」という、
自分の能力や才能に対する疑念を持っているということです。

そして、その疑念が、ことあるごとに自分の行動を制限してしまい、
著者になるための具体的な講堂に移れずじまいなのです。

たとえば、本を書こうと思ってパソコンに向かっても、
なかなか書き出しがうまくいかないうちに挫折してしまう。

出版社に送る企画書を書いているうちに、気分が冷めてきてしまう。

企画書を送ろうとしてプリントアウトしているうちに、
どうせダメだろうと思って送る気が失せてしまう。
などなど。

著者になりたいという気持ちを、
対外的に発することさえもブレーキが掛かってしまうことが多いのです。

では、なぜゆえに、そんな心のブレーキが掛かってしまうのでしょうか。
その理由は大きく3つあります。

まず1つ目が、
「出る杭は打たれる」という日本社会に慣れすぎているからです。

オンライン、オフライン問わず、
日本では目立った行動をすると方々から叩かれます。
それでも平然としていられるのは、
自分に対して誇大妄想に近いような絶対的な自信を持っている人くらいのものです。

世の大半の人は、そんな特別な性格をしているわけではありませんので、
自ずと、周りにあわせる・・・
それも、レベルの低い周囲にあわせるクセがついてしまうのです。

結果、何をするにも小さくまとまるような行動を選択しがちなのです。

次いで2つ目が、
自分の価値を低く見積もりすぎているからです。

これはどういうことか、というと。

一般的に社会に出てからは、
社内くらいでしか自分が評価される機会はありません。
そして、その会社内での評価基準が、必ずしも世間での評価基準と同じとは限りません。

ともあれ、ほとんどの人は、
たった1度の転職もすることなく人生を終えます。
転職活動をしたとしても、1回か、2回、
それもせいぜい同業の10数社を受ける程度にとどまります。

それゆえに、自分自身の市場評価を満足に知ることはできませんし、
多少なりとも知る機会があったとしても、実態をあらわすものではありません。

どういうことか、というと。

そもそも、著者を目指すような人は、
普通の人と感性がちょっと違っています。

したがって、良くも悪くも、
組織の中では異端ともいえる存在であることが多いのです。

当然、そういった存在は、その能力を正しく理解できる人にしか評価されません。
すなわち、組織においては冷や飯を食わされる率が高いのです。
早い話が、過小評価されがちなのです。

その際に、外の世界に目を向けることができればいいのですが。
今の環境にしがみつこうとすると、
過小評価がセルフイメージとなり、
それがやがて「自分が著者になるなんてムリ」などと思い込むようになってしまうというわけです。

さて、ラスト3つ目ですが。

これが一番大きいかもしれません。

著者という仕事を神格化しすぎているから、ということです。

出版業界の事情をお話ししましたが、
とにかく出版社を経由して本を出すという展開は絶望的に難しくなっています。
というよりも、ほとんど不可能といっていいような状態です。

企画書をいくら送っても
まったくもって採用されないわけですからね。
(ゴミ箱に直行しているから、それも当然のことなのですが・・・)

ともあれ、著者になるための挑戦をくり返しながらも、
いくどとなくその壁に跳ね返されることで、
学習性無力感にさいなまれてしまう人はかなりたくさんいらっしゃいます。

また、印税収入なんてないに等しい・・・
それどころか、ほとんど全ての著者は、
販促費で赤字になっているのが現実なわけですが・・・。

見栄っ張りで自己顕示欲の強い彼らは、
プライドが許さないというのもあるのでしょうが、
決してそれを表に出すことはありません。
それどころか、あたかも印税収入で潤っているかのようなそぶりさえ見せますよね。

それゆえに、これまた、
著者を雲の上の世界の人たちであるかのように錯覚し、
誰もが簡単になれるわけではない、と思い込んでしまうのです。

あと、裏話的なことをいうと、
著者がよく行っている「取材旅行」というもの。
実情を知らない人たちは、
「プロの著者はそんなことをやるだけの、時間とお金があるんだ、すごいな」と
圧倒されてしまうわけですが。

あれなんて、何のことはない、
ただの観光旅行ですからね。
経費にしたいから「取材旅行」と自称しているだけです。

もちろん、アリバイづくりのために?
著書内に、取材が反映されたとおぼしき記載がある場合もありますが。
何のことはない、Google検索でもわかるような、
二次情報で出回っているようなない用が大半なのです。

そもそも、著者なんて、
これからお話しする簡単な作業プロセスを経るだけで
誰でもなれるものなので、大した職業でも何でもありません。

もちろん難易度のわりに、
社会的な評価がすこぶる高いので、
その肩書きを手に入れておくのは非常においしいいのですが・・・。

おそらく、職業の難易度の話って聞いたことがあると思います。
よく、コンサルタントが自虐ネタで語るのですが・・・。

この世で一番なるのが難しい仕事が公務員様です。勉強ができて、面接でのアピールもバッチリじゃないとなれないからです。

会社員さんも、勉強はできなくても大丈夫ですが、面接でキッチリアピールできないとなれるものではないので、それなりに大変です。

でも社長ならば、法人登記の手数料30万円程度あれば誰でもすぐになることができます。超カンタンです。

さらにいうと、コンサルタントなんて、その30万円の法人登記の手数料さえ要りません。名乗りだしたその日からなれるからです。それこそ、他人が勝手にそう呼んでも成り立つ商売なの得、極論、サルでも犬でもなれるのがコンサルタントなのです。

さすがに、サルでも犬でもなれる、というのは極端かもしれませんが。

ともあれ、社長にしろ、コンサルタントにしろ、
すごい人、頭がいい人、というイメージがあるわけですが。

そこで成功するのが難しいのであり、実はなるのはそれほど大変ではないのです。

著者も結局は、これらと同じで。
専業の著者として成功するのは、今の出版業界の実情から考えて、
絶望的に難しい状況だといえるでしょう。
というよりも、著者としての成功を目指す労力を他のことに使った方が、
はるかに成功する確率は高いでしょうし、人生は有意義なものになるでしょうからね。

ともあれ、この話からも良くおわかりいただけるでしょうが、
著者という人種が、何も特別な存在というわけではないのです。
ただ実態に対する世間の評価が幻想まみれで、
分不相応なほどに過大評価してもらえるおいしいい職業でもあるのです。

したがって、あなたが著者になりたいと望むこと、
実際に著者になること、そして著者を自称すること。
それらをおこがましいなんて思う必要など、どこにもないのです。

もちろん、こんな考えもあるでしょう。

「でも、自分には、本にできるような特別な知識や経験なんてないんですが・・・」

いいえ、あります。

あなたのこれまでの人生で得てきた知識、個人的な経験、
さらには今持っている意見。

これらに対して、お金を払う価値があると考えている人は、
世の中にたくさんいるのです。

たとえば、あなたが今、
どこかしらの会社に勤めていたとします。
もしかしたら、無名の中小企業化もしれません。

しかし、そんな会社であっても
「入社して働きたい」と考えている人は、
どこかに存在しているわけです。

そういった人たちにとって、
あなたが今の会社に合格した時の体験談は、
お金を払ってでも知る価値のある情報なのです。

また、あなたは、毎日のように
普通に起きて、普通に会社に行っているかもしれません。

しかし、世の中には、それすらできない、面倒だと感じる人がいます。
また、自分の子供が、社会にうまく適応できずに、引きこもりになってしまって
困っている親御さんとかもいらっしゃるわけです。

そんな人たちにとっては、
あなたの常日頃の生活の様子が、
社会的な自立のヒントをもたらすものになるかもしれません。

つまり、商品やサービスの価値は、
お客さんの、読者さんの中にあるものであり。
作り手であるあなたが、一方的に決めるものではないのです。

それこそ、あなたの日常を記した日記でさえも、
あなたのことが大好きで、恋い焦がれている異性にしてみたら、
お金を払ってでも読みたいものなのです。

事実、一昔前、アイドルや芸能人のブログをまとめただけの本が、
出るたびに10万部突破のベストセラーを記録していましたよね。

その内容は、取るに足らないような、
本当にただの個人的な日記にすぎないわけですが。
ひとたび、書店に流通するやいなや、
出版不況もどこ吹く風といわんばかりに、
実用的なビジネス書、有名作家の新刊本を差し置いて、
書店の売り上げランキングを独占しているような状態でした。

さすがに、一個人の日記がそこまでの売り上げを記録することはないでしょうが、
それでも人間の「知りたい」という欲求は、
どんなものに対しても働きうるものだということ、
それゆえにあらゆる情報には価値があるということがおわかりいただけるのではないでしょうか。

ちなみにこれは、本に限った話ではありません。

「ペットロック」ってご存じでしょうか。
1970年代にアメリカで流行ったおもちゃなのですが。

こんなパッケージのおもちゃです。

ご覧の通り、ただの石ころを
仮想のペットに見立てたものですが。
なんとこれ、発売から半年で500万セットも売り上げたそうです。

ちなみに、日本でもトミー(現・タカラトミー)から発売されたそうで、
あなたのお父さんやお母さん世代はよくご存じかもしれません。

ともあれまぁ、こんなの、ただの石ころなわけです。
その辺に落ちている、ただの石ころ。

それでも、決して安くはないお金を払って、
実にのべ500万人の人がこれを買いあさったわけです。

娯楽の少ない時代だったから?

たしかに、その可能性はあるでしょうし、
今、同じことをやっても売れないでしょう。

ただ、ここでのポイントは、
ただの石ころを、ちょっとした工夫によって
あたかも価値のあるものであるかのように演出したところにあります。

もちろん、その工夫をもっても、
石ころはただの石ころ、と結論づけて買わなかった人が大半だったわけですが。

いずれにせよ、演出によって価値を感じた人がいたがゆえに、売れたのであり、
仮に石ころのままであったとするならば、
そこにお金を払う人などいなかったというわけです。

と、いうわけで。

あなたのこれまでの人生が、どれだけ平凡でありふれたものだったとしても。
それすなわち、本になるようなネタがない、
自分は著者になるだけの知識や経験がないと決めつけるのは早計です。
価値はお客さんの、読者さんの中にあるのです。

そして、少しでも多くの人に
あなたの持っている知識や経験を価値あるものに感じてもらうには、
先のペットロックのような演出が大切なのです。
すなわち、ブログやFaceboOKに日記として書くのではなく、
Kindle本という形式で書くということですね。

結局のところ、素材のまま出されても、人は価値を感じることはありません。
そして、著者になる前に、その手の形で周りの人の感触を確かめようとするからこそ、
自分の持っている知識や経験には価値がないと思い込んでしまう人がお甥のです。

以前も取り上げましたが、
ただでさえ、人間関係にはこんな実情があるわけです。

予言者が敬われないのは、その故郷、親族の間だけである

そこに、素材のままの知識や経験を伝えたところで、
まっとうな評価が得られるわけがないのです。

というわけで、あらためて強調しますが。

あなたの持っている知識や経験は、他の誰かにとっては、たしかな価値を持つものです。

しかし、素材のまま提供するのではなく、
ただの石ころをパッケージ化して、ペットロックと称して販売したように。
あなたの知識や経験も、Kindle本という、
完成されたコンテンツの体で世の中に出すという演出が必要なのです。

たった、それだけの一手間を加えるだけで、
あなたの知識や経験に対して、
高い価値を感じてくれる人が、世の中にたくさん出現するのです。

そして、仮に、その人たちのほとんどが、あなたの本を買ってくれなかったとしても、
価値のある情報を提供している著者という肩書きだけはたしかに存在するものなのです。




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