頭隠して尻隠さず!ニセモノにはほころびがある!

どうやってニセ成功者を見抜くことができるのか。

実は、その発信している情報、言葉自体にほころびがあるので
コツさえつかめば、簡単に見抜くことができるようになります。

本物の成功者と、ニセ成功者とでは、
使う言葉に明確な違いがあるのです。

したがって、その違いさえわかっていれば、
彼らにだまされることはないでしょうし、
影響された友人・知人に振り回されることもないでしょう。

あなたもよくご存じだと思います。

価値観が思考をつくり、思考が言葉をつくる。
言葉が行動をつくり、行動が習慣をつくる。
そして、習慣が人生をつくる。

基本的に、人が相手に対して知ることができるのは、「言葉」以降の部分です。
思考や価値観は、本人にしか、正確にわかりません。

ただ、先にもお話ししたとおり
「行動」以降の部分は、演出によってごまかす人がいるのもまた事実。
だからこそ、本質を見抜くならば、
どういった「言葉」を使っているか、というところにポイントがあるのです。

そして、自己演出に余念が無い人でも、
この「言葉」の部分がおろそかになっていて、
ほころびを見せていることが少なくありません。

そもそも、行動以降は演出できるように、
ある種の非日常を演じることで、ごまかすことができますが。
日常的に使っている「言葉」までは、なかなか配慮が行き届かない場合が多いのです。

だからこそ、成功者とおぼしき人物が、成功者を気取る人物が、
どういった言葉を使っているかをみることで、真贋を見極めることができるのです。

「でも、事細かに言葉をチェックするなんて大変なのでは」

確かに、全ての言葉をチェックするのは大変です。
というよりも、不可能に近いです。

しかし、実は、彼らが好んで、高頻度で使う言葉に、
明確な違いを読み取ることができるのです。
そして、本物の成功者は、絶対にその言葉を使いません。

本物の成功者が、ニセモノと同類にされたくないから意識的に避けている、というわけではありません。
そもそも、本物の成功者の習慣に、その言葉を使う機会が無いのです。

すなわち、目を皿のようにして、事細かにチェックをせずとも、
ちょっとした発信から、彼らの本質を見抜くことができてしまうのです。

では、その言葉とは一体何か・・・というと。

「自由」と「金」です。

まず「自由」から。

ニセ成功者のプロフィール欄には、
きまって「自由な生活を楽しんでいる」といったくだりがあります。

しかし、本物の成功者は、断じてそのような発言をしません。

なぜなら、本物の成功者にとって、
自由は日常であり、それを実感する機会がほとんどないからです。

むしろ、たまにある「不自由」によってもたらされる負荷に
非日常的な楽しみを見出すことが多いです。

実際、私の馬主仲間の方々も
「ビジネスはなんでも思い通りになるから面白くない。
 競馬は、自分の思い通りにならないもどかしさが面白い。」
と、いっているほどです。

すなわち、なんでも上手くいく人というのは、
上手くいかないことに、エンターテイメント性を感じるように。

自由な生活を満喫している人に取って
不自由な体験こそが特記事項なのです。

すなわちニセ成功者にとっては、
まだ自由が非日常であるからこそ、あのような発言がある、というわけです。
ニュース性のある出来事なのです。
だから、人目につくところで、
頻繁に「自由」という言葉を使いたがるのです。
ようやく手に入れた、わずかばかりのそれが嬉しいのでしょうね。

ともあれ、そこに実態のなさが現れてしまうというわけです。

次に「金(カネ)」ですね。

成功者は絶対に「金」とは言いません。
「お金」といいます。

これは、スピリチュアル的な話ではなく、
育った環境が影響していることも多いです。

ともあれ、育った環境というのは、価値観に大きく影響をします。

先にもお話ししたとおり、
価値観は全てのベースになるものですからね。
すなわち、育った環境がよろしくない方が、そのままの価値観で成長して、
親と違う人生を手に入れられるわけがない、というわけです。

「金」という言葉使いには、
その育ちの悪さ、育ってきた環境の悪さ、
そして価値観の質の低さと、
それがそのままであるという事実が現れているのです。

事実、かなしいほどまでに、ニセ成功者たちは「金」という言葉を使います。
その言葉を発するほどに、
ボロボロと安物の金のメッキがはがれていくわけですが。
当の本人は、それに気づくこともなく。
それこそ、裸の王様になるまで、メッキをはがし続けていくのです。

なお、一時的に稼ぐことができても、没落する成り上がりの方とかもいますが。
やはり、彼らの言葉使いを見ても、
「お金」を「金」といっていることが多いですね。

要は、価値観をはじめとした本質的な部分が変わらないまま、
何らかの幸運によってもたらされた成功にあぐらをかいた、ということでしょう。
早い話が、宝くじに当たっただけ、ということです。

余談かもしれませんが、宝くじ、という言葉が出たので。

成り上がり同様に、
宝くじに当たっても、その後に破産してしまう方が多いのは、
結局のところ、人生そのものを決定づける価値観が変わるわけではないからです。
価値観が成功者仕様になっていないと、お金持ちのそれになっていないと、
言葉、行動、習慣によって、一時的に得た富は、一瞬で消えて無くなってしまうものなのです。
ビジネスや人生での成功というのは、
EQに裏付けられたものでなければ、長続きしないのです。

いずれにせよ、
本物の成功者とは明確に価値観が違う、という点を示すのがこの言葉使いです。
ニセモノを見るたびに、
思わず苦笑いをしてしまうほど、
顕著な傾向として出ていますので、ぜひチェックしてみるとおもしろいかもしれません。

なお、本物の成功者の前で、「金」と発言すると、露骨に嫌な顔をされます。

もちろん、面と向かって指摘するような野暮なことはしませんが、
その後、二度と会ってもらえないということもあるので、注意しましょう。
明らかに価値観が違う人間と見なされて、
その後の関わり合いがストレスになると瞬時に実感させられるからです。
というより、これは、取り繕うというよりも、価値観をあらためるべきです。




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