初めての独立に失敗して現実の厳しさを知る

ブラック企業をやめた後、また同業の会社に転職しました。
懲りないな―僕も(笑)

でも3年勤めないと転職できない、と世間では言われてましたが、
アッサリ内定はもらえました。
いい加減なもんだな。通説はウソばっか。。

で、次の会社では結構大きい仕事をやらせてもらえました。
よくある“会社のネームバリュー”というやつですが、
そんなこともつゆ知らず。
仕事のでかさが自分の器のでかさだと、本気で思っていました。

で、すっかりテングになりましたよ、ええ。
電車に乗る時も、椅子に座るときも、
人前では意識してふんぞり返っていたくらいですもん。

タバコをふかして
「あー仕事つれーわー優秀だと仕事の方から集まってくるからマジつれーわー」
といった具合にウザさ全開で意気がっていました。
20代前半の若者なんて、こんなものです。

そして、株で儲けるという野望よりも、さらにデカイ野望を抱くようになったのです。

IPO!

そう、自分の会社を上場してセレブになろう、と。

ちょうどそのころ、アメブロで有名なサイバーエージェントの藤田晋社長の
「ジャパニーズ・ドリーム」を読んでインスピレーションを感じていたのです。
もうね、「Yes,I Can」ですよ。

だから、自分をビジネスの天才だと信じて疑わなかった僕は、
平然と上司に辞表を出しました。

自分のような天才が、会社の犬でいることが
社会の損失になるのではないか、と勘違い全開でしたからね、わんわん(笑)

入社して半年もたたず、大きな仕事をやり遂げて、
普通ならさぁこれから!というタイミングだったので、さすがに驚かれました。

しかし、前の会社も1年経たずに辞めていたので
『こいつはこういうやつなんだろう』と納得したらしく、
慰留らしい慰留もされず案外あっさりと受理されました。

で、ついに僕は社長になったのです!

独立して取り組んだのは、当時ブームになりつつあったアフィリエイト。

しかし、ただのアフィリエイトでは利幅などたかが知れてるわけです。
正直、10円そこらの手数料をもらったところで何になるんだよ、ふざけんなよアマゾンさんよ、と。

そこで、変則型のアフィリエイトのビジネスモデルを考えたのです。

それは、まず楽天市場に出店している企業に片っぱしから営業メールを送信し、
うちの会社に受注代行をやらせてくれとお願いしたのです。

一見、アフィリエイトと変わりないビジネスモデルですが、
大きな違いは販売時の価格決定権が販売者であるうちの会社にあったということです。
つまり、パッケージ化などを行うことで利益を上乗せして販売することができるのです。

今ではそのようなビジネスをドロップシッピングというようで、
その当時から欧米では流行していたようです。
しかし、業界知識に疎かった僕は、
天才的なビジネスセンスをもって新たなビジネスモデルを構築したと有頂天でした。

「やべーすげーこと考えちゃったよ俺!やっぱ天才だわー
 怖いわー自分の才能がーマジ怖いわ―。良かったわ―自分が自分でー」
と、相変わらずのウザさ全開で、そんなことを考えてはニヤニヤしてました。

それこそ、商品サプライヤとしての勢力を拡大していけば、
会社のキャッシュフローも半自動で回り続け、
ゆくゆくは株式公開、若きIT長者としてアーリーリタイアできるんじゃないかとさえ思っていました。

・・・が!!サッパリ売れなかったのです。

メルマガを50誌も立ち上げ、
ブログを400サイトも作成し、
それぞれ週1ペースでガンガンに回していたのですが・・・。

結局総利益としては半年やって30万円程度。
あんた無理!マジメに会社行けよ、レベルの利益しか出ませんでした。

その他にも広告制作の仕事や、
インターネットラジオの仕事などをやりましたがいずれも儲からず。
それどころか、外部の業者との取引が多くなるにつれ、
金銭トラブルなどが発生するようになりました。

んで、最後は面倒になって会社をたたんでしまいました。

幸いだったのは一切の借金が残らなかったこと。
ただ、会社をたたむにあたってのコストは顧問税理士の方に支払いを待ってもらって、
その後入社した楽天の最初のボーナスで支払いました。

次の会社が決まるまで、
学生時代に働いていたセブンイレブンで深夜のアルバイトをさせてもらっていました。

ほんと、一時はどうなるかと思ったけど
何とかアパートを追い出されずに済みました。
働く場所があるって素晴らしい、そう思えたのはこの時の経験が一番大きいです。

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